余命宣告を乗り越えた
母へ贈る家族からの手紙
本映像は、音声と併せてご覧ください
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どんな存在ですか?
まだ伝えられていないことはありますか?
もし病気と分かったら、何を思いますか?
家族の健康のために、私たちにできることは
思いやりの気持ちで在ることと
思いやりの制度を存続させること
未来へつなごう、
産まれる5分前、医師から障害があることは間違いないと告げられました。出産後は対面する間も無く、直ちに緊急手術へ。初めて会った娘は、膨れたお腹の中で小腸が破裂していて、ただただパニックで泣き崩れ、その場に立っていられませんでした。
擦り切れそうな毎日が続き、現実を受け入れるまで一年かかりましたが、退院までの4年間は一日もかかさず娘に会いに行きました。その日々の中で、病気と闘いながら成長していく娘は、いつも明るくどんな時も笑顔を見せてくれました。そんな娘の存在が、私を支え続けてくれ、私自身も明るく強く成長することができました。
当時は大変なこともありましたが、みんなで乗り越えることができたので、今振り返ってみると楽しくも感じられるようになりました。
ある日突然母に連れられ病院へ行き、医師から「お母さんは生死に関わる病気なので覚悟してください」と告げられました。手術に向けて何枚も同意書に署名し、その度に最悪の結果を想像する覚悟の連続でした。
すごく辛そうで弱気になった母を見ていると、不安なことを考える一方で昔を振り返ることもありました。女手一つで育ててくれた母に迷惑ばかりかけてきたのに、親孝行らしいことが何一つできていないと気づきました。
母とは、ずっと二人で暮らして来ました。母親でもあり、何でも話せる友だちのような存在。そんな日々が永遠に続くものと当たり前のように思っていました。でも今回のことで、人はいつどうなってしまうのか分からない、当たり前のことなんてないんだ、と身をもって知りました。だからこそ、退院した母親へ後悔しないくらい、親孝行をたくさんしていきたいです。
旦那は何を聞いても、私が思った答えを返してこない人なんです。「お腹が痛い痛い」と言う旦那を病院に連れて行ったら「シコリがあるから内視鏡検査をしましょう」と言われました。それなのに本人ったら「気合いで治す、病気は気合いだ!」と訳の分からないことを言ったり、病気が発覚して私が「頑張ろうね」と言ったら「何が?」と返してきたり。治療についても私任せで「病院と医者選びは全部頼む!」と一言のみ。極めつけは、私が毎日病院に通い、旦那を支え、いざ退院というときまで「ありがとう」もないんですよ!!
そんな旦那だけど、私にとっては何でも話せるし、いないとダメな存在なんです。直接言ったことはないけど、私は旦那が思っているよりも旦那を大事に思ってるんです。一緒にいる以上、病気だって何だって旦那を支えていくつもりです。私に不安なことがあるときでも、あの人の顔とリーゼントを見るとホッとします。