ルピンとの出会いから今日に至るまで
共和薬品工業株式会社
代表取締役社長 角田 礼昭
共和薬品工業株式会社がインド製薬大手であるルピン社の傘下に入ってから約10年が経過しました。 その間、ルピングループのバックアップに、ジェネリックへの追い風も相まって、売上、従業員数とも3倍以上に成長することができました。
リレー随想の執筆のバトンを受け、この機会に、ルピンとの出会いから今日に至るまでの10年間を振り返ってみようと思います
●ルピンとの出会い
ルピンとの出会いはまさに運命であったと考えています。その経緯ですが、2000年代に入った頃から、 日本は将来ジェネリック医薬品(GE)の市場成長が見込まれることは確実視されていました。当時、当社は売上高が100億円未満でしたが、「早く500億円、1,000億円規模にならないと生き残れず、企業としての存在価値は無い」と考えていました。大きく成長するには生産設備・研究開発への多大な投資が必要ですが、当社単独では難しい。それを実現するには他の企業との提携が不可欠と判断していました。提携先としては、資本力、研究開発力、生産力をもち、更なる将来性を考えるとグローバル力があることが理想でありました。一方、2000年代の初め、成長が見込まれる日本のGE市場を狙ってインド系GEメーカー数社が日本を訪れるようになり、ルピンがその中の1社でした。ご縁があったのでしょう、当社は2004年に日本でルピンと初めて会いました。必然的に提携の可能性を探ることが共通のトピックとなりました。それをきっかけに両者は相互に生産・研究開発施設等を訪問してインフラを確認しました。ルピンはAPIも製造可能、グローバルな企業であるので、当社にとって魅力的なパートナーでした。アライアンスの可能性を議論した結果、2005年7月にGEの共同開発契約の締結に至り、協力関係がスタートしました。その後、両者のトップマネジメントが会い、経営ビジョンを共有すると共に更なる協力関係を進める基礎固めを行いました。ルピンは特に人を大事にすることを基本方針としており、現地の文化を尊重します。当社の強みとしていた経営方針や事業戦略が継承され、また現地での経営の自主性も尊重します。このようにして、 両者の信頼関係が構築された結果、最終的に2007年10月に当社はルピンの傘下に入るに至りました。
●今日に至る道のり
2011年11月、アイロム製薬(現共和クリティケア)をグループ化することができました。共和薬品工業が内服薬を中心とするのに対して、同社は注射剤のラインアップが豊富であり、DPC市場シェアの早期拡大及びカニバリが起こらないことが魅力でした。
生産面では、GEシェア80%に対応するため、三田工場の増築(2013年1月)、インド・ゴア工場に日本向けの製品の製造棟を建設(2015年8月)、鳥取工場の建設(2017年3月)など、生産力の増強に努め、安定供給体制を構築しました。
研究開発面でもルピンとの連携は深まっており、共同で開発したGEを既に複数が日本において上市済で、今後も更に開発品目数を増やしていく方針です。
営業政策面では当社の強みであるCNS領域への注力をますます強めてきました。 塩野義製薬から多くのCNSを含む長期収載品21品目の承継(2016年12月)などを経て、アステラス製薬 からは双極性障害のうつ症状の適応を持つ新薬「ビプレッソ徐放錠」の販売を任せていただけるまでにな りました(2017年10月)。
このように主にCNS領域に特化した「スペシャルティ化」と、GEと先発医薬品のハイブリッド化を推進しており、これを社内では、”トランスフォーメーション戦略”と呼んでいます。
2017年12月には、本社を新大阪から市内中心部の中之島に移転し、心機一転がんばっております。 共和薬品工業株式会社の今後に、GE薬協のメンバーの皆様方からも温かいご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。