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月刊JGAニュース

日本の囲碁と韓国、中国の囲碁と AIの囲碁について最近想うこと  

東和薬品株式会社

代表取締役社長 吉田 逸郎

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 最近プロの囲碁の世界では、韓国、中国の囲碁が日本の囲碁を圧倒しています。
私見ですが、日本の囲碁は韓国・中国の囲碁とは全く違った背景を持っていると思っています。
 日本の囲碁について
 日本の囲碁の歴史は古く遣隋使の吉備真備が持ち帰ってきたという説とあるいはもう少し前からという説とあるようですが、いずれにせよ、日本の囲碁は日本文化を背景に江戸時代から本格的に発展をしてきたようです。そのため囲碁は将棋とともに棋道と呼ばれています。その他、道のつくものに、柔道・剣道・合気道・茶道・華道等々日本文化を象徴するものがあります。これらに共通するものは何かと言いますと、まず、最初に礼に始まり礼に終わるということ(自分を大切に思う心、相手を大切に思う心を体現したもの)、次に、技を磨く、技を極めると同時に人間性を磨く、品格を高めるということだと思っています。
 これらの中で、勝負を決めるもの、囲碁に関して、囲碁に人生をかけるプロ棋士の場合、お互い求道者として切磋琢磨して技を磨き、奥義を極める修練を積みながら今の自分の修練の度合いをはかる意味でも試合に勝つことは大事で、勝てば、自分にとってはうれしいことです。しかしながら、ここで忘れてはいけないことは、相手がいるおかげで自分の技量の程度が分かり、さらに向上するための課題もわかるということです。さらに相手が強ければ強いほど結果の棋譜は記録に残って高い評価をされます。このことに関して相手に感謝の気持ちを持つこと、試合終了後の挨拶は重要な意味を持ちます。
 私は、プロの対局では読みの深さ、正確さなど、内容のすばらしさはもちろん棋士の立ち居振る舞い、所作をみること、終わった後の感想戦、インタビューの時の話の内容、話し方を聞き、その棋士の人間としての品格の高さを垣間見るのが楽しみです。
 一方で韓国の囲碁、中国の囲碁については、マインドスポーツとしての位置づけで30年程前から本格的に盛んになってきました。

 そのころは日本の囲碁が圧倒的に強く、韓国の囲碁については日本囲碁を習うという意味で曺薫鉉(チョ・フンヒョン)が、来日しプロ棋士となって韓国に戻り韓国の囲碁のレベルを上げその影響で、韓国内でもプロを目指す若者が増えてきました。その中で若手の棋士で李昌鎬(イチャンホ)が出現し若干16歳で世界棋戦において優勝し韓国では一気に囲碁人気が沸騰したようです。李昌鎬(イチャンホ)を筆頭に若手プロ棋士が続々出現し1990年頃から2005年頃まで韓国の囲碁が世界一の座に君臨していました。
 これも私見で間違っていたら申し訳ないことですが、韓国の国事情として、当時、韓国経済はかなり急成長していましたが、一部財閥系の会社の経済活動に拠っていたところがあります。そのいう財閥系の会社に入社するか、国の官僚になるか非常に限られたエリートの中での競争社会でした。今の国事情も基本的には変わらないと思いますが、血縁、学閥に縁のない大多数の国民が成功するには、スポーツ関係か芸能関係か芸術・文化関係などで頑張る選択肢が少ないように感じています。その頑張り様も自分の人生を掛けてはもちろん、家族の期待を背負って最優先で人生の時間を過ごしている人が多いようです。
 中国の囲碁に関しては1980年代半ばころから日中スーパー囲碁大会を約10年間毎年開催し聶衛平が日本のトップ棋士に対等以上の実力をつけていました。その後中国では囲碁を国家レベルで全国から優秀な子供を選抜し若手棋士の育成に力を入れています。その結果2005年頃から中国棋士が台頭してきて世界のトップを争うようになっています。
 中国の国事情も当時は経済的にはまだ低く発展途上の状況でした。働く場も限られて所得水準も日本の十分の一ほどだったと思います。その頃に聶衛平が日中スーパー囲碁大会に優勝すると当時で二千万円の賞金を受け取れるので、このことが中国で報道されると聶衛平はスーパーヒーローになり国民の憧れの的で、囲碁の人気も急激に高まったと思われます。
 一般的に囲碁の場合、5歳くらいから10年間くらいが基礎能力を付ける重要な時期だそうです。この時期にいかに囲碁に多くの時間を掛けることが出来るのかによって、その後の強さが違ってくるそうです。最近囲碁の専門家に聞いて知ったのですが、韓国・中国においては、囲碁にかける時間の合間に義務教育の時間がある、一方日本では義務教育の時間の合間に囲碁の時間があるという違いがあるそうです。この時間の違いは物凄く大きく、日本の囲碁が遅れを取っている大きな原因の一つとのことです。
 ここまできて私が感じたことですが、マインドスポーツでは、勝負の結果が最優先であることが分かります。それぞれ背負っているものが自分の人生、家族の期待・生活であるので、たとえ相手が失敗してでも、勝つことが大事なので、勝てば人前を憚らず喜んでしまうのは致し方ないことかと、どこか腑に落ちないままに納得せざるを得ないと自分に言い聞かせています。
韓国・中国のトップ棋士も一握りの人たちで同じ時間厳しい囲碁の勉強をしてきた多くの子供たちのその後の人生を考えると如何なものかと思います。強烈な光の部分をみて影の部分は見ないということだと思います。日本の囲碁の場合は影の部分が非常に小さいが光の部分がまだ弱いということだと思います。考え方なのでどっちが正しいとは言えません。個人的には私は日本の囲碁が好きで
す。再び世界の頂点に立ってくれることを強く願って応援しています。
 勝負だけに拘っていると、AIの出現によってこの価値観が怪しくなってきました。世界トップ棋士がAIのAlphaGoに完敗し、人間棋士の手の届かないところに行ってしまうという囲碁の歴史における新時代を迎えることになってしまいました。
 ところで私はAIにできない囲碁が出来ます。色々考えることが多い仕事の合間を見つけて、囲碁を打っている時間は頭の中を囲碁に集中し終わった後、結果はどうであれ頭のリフレッシュをしてアマチュア囲碁の時間を楽しむということです。

 

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