GEに三春の約あり
朝陽が上ってきた直後に玄関を開けると、薔薇が作る香りの雲が広がっていた。
沈丁花のように周囲一帯にまで濃厚な刺激臭が広がっているわけではない。上質な茶葉を連想させる香りをベースに、蜂蜜や果実と同質の甘みを感じる。これらに、ムスクやダマスクといった香水系の鋭角な香りが混じる。限りなく優しく、淡い中にもしっかりした自己主張と、少々の風にはびくともしない重みがある。
通りがかりの人から、手間暇がかかって大変ですね、とよく声をかけられる。全くの見当違いではないが、正確ではない。薔薇は、手間暇がかかるのではなく、手間暇をかけたくなる植物なのだ。
間もなくして、空気を震わせる低音が響き始めた。クマバチである。巨体を震わせ、力任せに花粉を掻きまわし続ける姿には、花に対する哀惜の情の欠片さえも感じられない。
今朝は、蜂の世界の書き入れ時なのか、七匹も飛来がある。雄には毒針がなく、性格も温厚なハナバチながら、体躯の威圧感は強烈だ。これでは、鑑賞に専心できない。
君のために育てているわけではないんだけどな、と胸中に呟き、寝巻に等しい軽装で家を出た。
三十分ほど歩くと、田園地帯に出る。平野が森になり、やがて丘となり、陽さえ通さない原生林を経て山へと続いている。人工物のない連続性が、とても美しいと思う。本来、野と山は、このようにつながっているものである。
少し高台へ移動すると、空を映す鏡と化した蒼い沼と、その先に続く秩父連山、さらには、そこから頭を出している富士山がよく見える。山々の雪解けが一気に進んでいく郷土を象徴するのどかな風景が広がっている。
— 花に三春の約あり、の季節を迎えた。
父親の三回忌で帰省した際の、田舎の景色である。
この前夜、七十六歳の母親にジェネリック医薬品業界への転職を告げていた。どうせ、この業界のことなど知らないだろう、という半ば懐疑的かつ形式的な切りだしかたをしたと思う。
母親は、破顔していた。とても意外な反応であった。
これからはジェネリックの時代やさかい……。
使い慣れた関西弁が刹那に出るときは、本心である。
こんな田舎でひとり暮らしをしている高齢者にまでも浸透しているのか、と嬉しかった。
(Y.T.)