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月刊JGAニュース

時代の節目 (滄海桑田・そうかいそうでん)  

辰巳化学株式会社

代表取締役会長 黒崎 昌俊

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 今年2018年は、元号で言い表すと明治から150年。平成に入ってから30年と節目の年となります。干支でいえば戊戌(つちのえいぬ)。万物草木が生い茂り絶頂期に達して枯れ始めて新しい芽が出始める時期で、犬は堅実さと義理堅さで人に好かれ絆を深める動物です。
 滄海桑田。世の中の変化が激しく動いています。気候変動も地球的温暖化が進む中、今年の1、2月に私の住んでいる北陸地方は豪雪により地域社会の生活に大きな影響が出ました。雪の季節だけではなく、赤道付近の気温の上昇により多くの台風が発生し、偏西風の蛇行により地球規模で猛暑酷暑が続き、酷暑による生命の危機や風水害で西日本中心に大きな被害が出ました。また直近では北海道地震も発生し停電と流通網の寸断で大きな被害が出ました。
 今年を振り返りますと記録といい記憶といい、忘れ難い事を含めての年となったと思います。
 前回投稿した折、自分の生き様を書かせて頂きましたが、私も両親同様、昭和、平成、来春に向けての新元号の3時代を経験することになります。私は、昭和18年終戦の2年前に生を受けました。小学校、中学校と子供の頃は戦争末期の産めよ増やせよの政策の余波で、同学年20 ~ 21クラスと子供の数が現在と全く違い子供バブルの時代でした。特に学生時代、東京に出て(昭和30年代)東横線の自由が丘と都立大学の中間あたりに下宿し、高校、大学へ行きました。当時の渋谷はワシントンハイツが残っており、自由が丘、都立大学、田園調布も駅から14 ~ 15分歩くと田園が広がり住宅もまばらだった事を記憶しており、渋谷にあった予備校の帰り、東横線のガードレールに沿って何回も歩いて帰ったことも思い出されます。学生時代および卒業後辰巳化学に入社後の足掛10年程東京に住んでいました。下宿も東京都内で7 ~ 8回変わりました。当時は賄いつきで、下宿には地方から出てきた他校学生(大学生、高校生10人程度)と同居し、下宿を変わる毎に他の大学生と交流し、大学生活を過ごしました。昭和42年辰巳化学に入社して、昭和48年に先代の父親の後を引き継ぎ社長に就任して以来、半世紀生業してまいりましたが、平成28年に息子に継いでもらいました。
 半世紀の中でどの程度の事が出来たか評価できませんが、2代目の役目として初代の遺訓を守りながら過ごして参りました。次の世代も私同様継いで行ってもらいたいと思います。

 今の楽しみは2020年東京オリンピックの観戦です。前回の東京オリンピックは柔道のヘーシンクの優勝した時、おふくろと見に行ったことを覚えています。
また2021年辰巳化学は創業80年を迎えますが、これに向けて生業をして実績を上げて参ります。

 

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