色あせない時代
日本薬品工業株式会社
代表取締役社長 工藤伸一
いつも遠くから見ていた「リレー随想」に原稿を依頼され、「さてと、困った!諸先輩の道のりは?」とバックナンバーを取り出し、辿ってみる。バトンを手に、何周も走られている先輩もいらっしゃる。雇われ新人経営者の身、「一周のみなら何を書く?」そうそう、やはり楽しかった若かりし日の、ハラスメント何でもありの荒々しい美しい時代?のことに触れてみたいと心が疼く。
私の入社は昭和54年、その年、新卒者のタイプは「お子様ランチ型」と命名された。何でも揃って綺麗だが、幼さ抜けず歯ごたえなし。とのこと。いつの時代も新人には手厳しいもんだ。上司は団塊の世代の個性派、営業会議が終われば深夜の酒盛り、必ずどこかで、夢を語った末の埋まらぬ溝の乱打戦、空中では酒が飛んだり、皿が飛んだり、はたまた人が飛んだりのにぎやかさ。
配属先は、北海道伝統の栄光の炭鉱エリアで夕張、三笠、岩見沢等の南空知地区。初めての帳合いは夕張のおばあちゃん先生からで、「暑い中、よく来たね。」といって 76,110 円の肝疾患の薬を買ってくれ、ナースの小上がり部屋でサイダーをご馳走してくれた。高倉健さん主演の「幸福の黄色いハンカチ」で倍賞千恵子に妊娠を告げた本物の医師、M先生は、初めての訪問に関わらず、3品目も新規採用してくれた。医院の慰安旅行先を私の故郷である青森にしてくれて全額院長負担で付き添いとして連れて行ってくれたY先生、麻雀で遅くなり、娘が東京の大学に行って空いているといって娘のベッドで寝なさいと言ってくれた H 先生の奥さん、団塊の鬼軍曹が牛耳る会社は、今は薄き厳しきノルマの世界。反面、お得意先の先生方や卸 MS さんの人情に支えられた。
入社2年目を迎えた10月、札幌の歓楽街ススキノで支店の食事会があった。一次会が終わり、後輩とお茶を飲んでいるとテレビが北炭夕張炭鉱にて、大きな事故があり、死者が多数出ていると報道している。ここの企業病院(後の夕張市民病院、今は市が破たんして診療所になっている)の看護師のご主人は炭鉱マンが多い。すぐに後輩と連れ立って、スーパーでおにぎり、味噌汁を買い込んで車で病院へ駆けつけた。道中、真っ暗な山の中、心なしか深い谷から煤で黒ずんだ男達の咆哮の声が聞こえる気がした。病院に駆けつけると日頃冗談を言ってくれる親しいドクターが白衣の裾を炭塵の煤で真っ黒にして真剣な顔で走り回っている。薬局のテレビでは、死亡者の名前のテロップが次々に流れている。テレビの周りに集まった病院の職員の方々が皆、知った名で、それを見つける度、泣き崩れる職員がいる。2階の病室の前に次々と遺体が並べられていく。最終的に死者は93人にのぼり国内炭鉱事故3番目の大事故となった。深夜、一段落した時、夕張の天皇と崇める今は亡きK薬局長が、「よく来てくれたな」と眉間に皺を寄せた厳つい顔で労ってくれた。
40年前の話だが、色あせない、鮮烈な出来事だった。
新元号令和が発表された5月、業界紙の見出し「『新卒100人超』は3社のみ、10年前は12社」。昨年の抜本的薬価制度改革発表以降、業界は大きく揺れている。未来に飛び出すのか、ここで沈んでいくのか。短い人生、仕事を通してお世話になった多くの方々の面影が目に浮かぶ。一日一日を大切に、もうひと踏ん張り邁進していきたいものである。