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月刊JGAニュース

リレー随想  

光製薬株式会社
代表取締役社長 高橋 維朗

04.jpg 私が1998年に初めてリレー随想に寄稿してから今回で7回目になります。
1998年「浅草ウォッチング」、2002年「続 浅草ウォッチング」、2005年「酉の市」、

2011年「あこがれのタワービューオフィス」、2014年「古希」、2017年「懐古」と主に浅草の

風物について愚筆をとらせて頂きました。
 その間21年の年月が経過し、我が町浅草も大きく様変わりしております。
 そこでこの度は、過去の原稿を読み返し、ダイジェストで紹介をさせて頂きます。
 1回目の「浅草ウォッチング」では、当社があります今戸から浅草界隈を散歩し名所を

紹介しております。
 歌舞伎十八番の「助六」で有名な花川戸は、現在は多くの履物問屋が営業しており、外国からの

観光客の見学コースにもなっています。
 また、普段は姿をあらわさない浅草寺伝法院(せんそうじでんぽういん)の池に住む

大サンショウウオが、関東大震災の直前に池から出てきて災害を知らせたという逸話を紹介しました。
 2回目の「続 浅草ウォッチング」では、浅草寺から西に向かった浅草六区の紹介を致しました。
 浅草六区は昭和30年代頃までは東京の中で一番の娯楽地帯で、飲食店、映画館、ボウリング場等々娯楽に関して、

その時代時代で繁栄をしてきた場所であります。しかし近年は娯楽の多様化の波に押されて映画産業は元より演芸、寄席というような

庶民の娯楽が陰を潜めています。
 浅草のシンボルであった松竹歌劇団のホームシアターである国際劇場も現在はホテルにその場所を譲っています。
 ただ、なぜか「花屋敷遊園」と呼ばれている小さな遊園地は若い人の話題に出てくる事が多く、そこの呼び物は何と言っても

「ローラーコースター」という乗物であります。遊園地の外側に沿ってレールが敷かれており、そのレールの上を大して速くないにも

拘わらず轟音を発し疾走しております。
 私がまだ子供の頃から既に現役として毎日働いているコースターだけに、リニューアルはしていると思いますが、人間で言うと既に

還暦を超えた超ベテラン選手であります。それだけに、いつコースター自身がレールから飛び出し園外にフライングしても

おかしくないという印象があり、乗車した方々は少々違う意味での恐怖感を感じているのではないでしょうか。
 それから当社から徒歩で10分程の吉原の紹介も致しました。
 その昔この地は葦(あし)の原っぱが続いて葦原(あしはら)と呼ばれていました。その後商売の地となり縁起かつぎで葦(あし)は

悪(あ)しに続くという事から葦(あし)をよしと呼ぶようになり、葦原(よしはら)、吉原となったそうです。
 ものの本によると、この地は元和元年(1617年)といいますから、今からおよそ400年程前に徳川幕府公許の遊廓として誕生したと

書かれています。その頃の江戸はまだ野原の中に遊女屋があちらに二軒、こちらに三軒というふうに散らばっていたそうで、

それをある茶屋の主が一か所に集めて遊廓を作る事を幕府に上申し、今の形ができたそうです。
 開府以降江戸の町は年々人口が増え賑わいを増す中で、女の人口より男の人口の方がずっと多かったと伝えられています。
 その後、明暦の大火(1657年)により江戸の町の大半が焼失してしまい、この地も移転を余儀なくされ現在の観音裏の地に

居を構える事になりました。

 江戸時代の華やかな社交場として江戸文化の華を咲かせた事は、歌舞伎の「助六」、「籠釣瓶」などで余りにも有名であります。
 それから昭和33年までの約300年の間、この地は幾度の大火に見舞われながらも繁栄を続けてきました。
 四方を「お歯ぐろ溝(どぶ)」といわれる堀に囲まれたこの地は、他と隔絶した地域になっていた為、この地特有の風俗、

文化を持っていました。
 先の戦争以前の吉原は貸座敷(かしざしき)、引手茶屋(ひきてちゃや)、芸者屋の三つの組合があり、それを取り仕切っているのが

三業組合でありました。
 その頃は全町3万坪に大見世、中見世、小見世を合わせた貸座敷が百一軒、四十八軒の引手茶屋、二十九軒の芸者屋、

幇間(ほうかん)(太鼓持ち)、その他の商店で成り立っていました。
 引手茶屋というのは、貸座敷(大見世)に登楼するお客の接待をし、貸座敷へ案内するのを仕事としていました。

「遣手(やりて)」という言葉をご存知かと思いますが、遣手とはこの貸座敷の花魁の世話をするおばさん達のことで、

昔は花魁をしていた人が多かったようです。
 現代では冷酷無情なあくどい年増女というイメージを世間から持たれている様でありますが、実はこの様な人達であります。
 3回目の「酉の市」では、毎年11月の酉の日に千束の鷲(おおとり)神社に市がたつ「おとりさま」の紹介を致しました。
 酉の日の前夜から鷲神社の境内のいたるところに熊手の市がたち、半天姿の熊手売りの若い衆が客引きを致します。
 下町の浅草界隈でも11月のなかばを過ぎると北風が吹き始め、街の職人達は燗酒が恋しくなる季節であります。
 吉原大門の見返り柳の前には、土手の中江、あつみ屋という昔からの馬肉料理屋が並んでいて桜肉のすき焼きを肴に酒を飲む

楽しみがありました。
 以上1回から3回までのダイジェストでしたが、大変残念ですが、紙面に限りがございます為、今回はこの辺で締めさせて頂きます。

 

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