オンライン診療が紡ぐ未来
「新型コロナ禍で浮き上がったのがデジタル化の推進である。ようやく解禁されたオンライン診療は、今後も続けていく必要がある」―。菅義偉首相は自民党総裁選に立候補した際の所信演説会でこう表明した。オンライン診療の恒久化に向けた道を歩み始めたようにも見える。“デジタル化”は政府、いや日本における喫緊の課題だ。政府が7月に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針2020(骨太方針2020)」でも、コロナ禍のなかでデジタル化をすすめ、新たな日常(ニューノーマル)を確立することを鮮明に打ち出した。「電子処方箋、オンライン服薬指導、薬剤配送によって、診察から薬剤の受取までオンラインで完結する仕組みを構築する」ことも明記。制度構築を急ぐ。
コロナ禍は、日本の課題を鮮明にした。新型コロナの影響で、患者の受診控えは全国的に起きた。高齢者や基礎疾患を合併する人など、通院治療を受けている人は、新型コロナで重症化するリスクが高い。予防法も治療法も確立しないなかで、未知の恐怖感から医療機関を受診する足が遠のいた。こうしたなかで、政府は4月13日、「時限的・特例的」な措置として初診を含むオンライン診療の全面解禁に踏み切った。
「患者のみならず、医師・看護師を院内感染リスクから守るためにもオンライン診療を活用していくことが重要。現状の危機感を踏まえた緊急の対応措置を規制改革推進会議で取りまとめてほしい」―。安倍晋三首相(当時)は政府の規制改革推進会議にこう指示した。これをきっかけに、オンライン診療の議論は進んだ。ただ、この“全面解禁”への流れも一筋縄ではいかなかった。当初から初診を含む全面解禁を訴えた規制改革推進会議に対し、厚労省側は初診でのオンライン診療活用に難色を示した。厚労省の検討会でも、初診への解禁は否定的な意見が多く、両者の意見は一致せず、最終的に政治決着し、オンライン診療が解禁に至った経緯がある。
ただ、依然として医療現場には初診時のオンライン活用には強い抵抗感がある。菅首相がオンライン診療の恒久化を唱えるなかで、日本医師会の中川俊男会長は9月24日の定例会見に臨み、「初診からのオンライン診療は、有事における緊急の対応」と慎重姿勢を崩さなかった。中川会長は、継続した通院が困難なサラリーマン世代は「現行制度の予約診療の普及で対応できる」と指摘。「利便性のみを優先するオンライン診療の拡大は、医療の質の低下につながりかねないため、容認できない」などと突っぱねた。
実際、オンライン診療は初診を含めた全面解禁に踏み切ったものの、電話による再診が大半だという。ただ、対面以外の手段で「かかりつけ医」がその職能を発揮するという観点から、一歩前進との見方もある。
もう一つ、オンライン診療により、加速することが期待されるのが、患者データをめぐる体制構築だ。電子カルテや電子処方箋など、周辺の環境が整うことは、オンライン診療の質を向上させるためにも必要不可欠だろう。実際、政府は、電子処方箋のシステムの運用開始を2023年度から22年夏に前倒しする。医療機関や薬局が処方時、調剤時に処方情報や調剤情報を閲覧できる体制を構築する。さらに、全国の医療機関で医療情報を確認できる仕組み(HER)も、21年3月に予定する特定健診情報を皮切りに、レセプト記載の薬剤情報、手術や移植、透析、医療機関名に共有する情報など範囲を拡大する。これまで病院や診療所、保健所などに眠ってバラバラだった患者データを統合することで、患者の治療後の経過を把握することもできる。残薬や重複投薬などの解消にもつながることが期待される。こうした仕組みは、オンライン診療の円滑な実施につながるとともに、オンライン診療を行うことで、さらにデータが蓄積するという好循環を生むことになる。
そして、この蓄積されたデータの利活用は新たなビジネスを生む可能性をも秘める。創薬やドラッグリポジショニングなどに活用することも期待できるだろう。また、オンライン診療だけでなく、検査など診察に必要な新たなビジネスを生む。血圧計や心電図など、これまで病院や診療所を受診しなければ受けることのできなかった検査も、タブレット型端末やスマートフォンひとつで結果を知ることができる。実際、欧米ではこうしたウエアラブルなどの開発も進んでいる。自宅にいながらにして診察所にいるのと同様の検査や診察を受けることができる日の現実も近い。そのカギはテクノロジーが握る。
一方で、こうした流れに乗り遅れることは、戦わずしてビジネスの敗者になることを意味する。国民皆保険制度を維持するための手段として、いまデジタルの活用が注目されている。データを統合し、ステークホルダー間のコミュニケーションを活発化することで新たなアウトカムが生まれる。そのアウトカムとは医療上のエビデンスに止まらず、患者を病から解き放ち、日常生活や職場に復帰させることで、社会の生産性を向上させることにも寄与する。テクノロジーの進歩はこうした社会構造や社会システムを再構築できるパワーを秘めている。社会保障費の高騰やそれに伴う薬剤費削減に目が行きがちだが、実はデジタルの利活用が新たな社会システムや医療システムを再構築する起爆剤にもなり得るのだ。時代は“モノ”から“コト”へ。産業界も同様に、これまでの既成の概念に捉われないニューノーマルな発想が求められる。
破壊的イノベーションともいえるようなテクノロジーは、世界の色を一瞬で変えるパワーも秘める。GAFAをはじめとするプラットフォーマーを伍す、一発逆転のチャンスさえもあるかもしれない。こうしたカギを握るのは、オンライン診療、そしてそれを中心としたデジタル化の推進だ。この波は、医療界だけでなく、製薬業界の姿をもいま、一変させようとしている。