夏の思い出。(青春の1ページ)
7月~8月と、子供も大人も、多くの人がいわゆる「夏休み」を楽しんだことと思う。
そして、9月。皆さんは今、どのような気持ちだろうか?
私は、思いの外、ワクワクしている。この理由の一つは、10代頃の記憶が、今も色濃く蘇るからだ。
尖りに尖った反抗期ど真ん中の中学時代を経て、冒険心と好奇心は残しつつ、本来の自分らしさや優しさを取り戻し、家族や先生とも仲良くできるようになった高校3年間の思い出は、私にとって特別なものとなっている。
高校生活において、9月は、毎年、文化祭が開催される月だった。そのため、7月、8月の夏休み期間は、クラスのメンバーで集まり、文化祭の出し物を準備した。
ちなみに、私の学校では、1年~ 3年まで、さらに理数科、普通科、商業科、通信学科も含めた全校でハンデなしの校内コンペティションを実施の上、決められた枠の出し物を勝ち取る仕組みだった。そのため、やりたいことをクラスで取りまとめた後は、校内コンペティションを勝ち抜くべく、企画立案と先生たちの心を掴むインパクトあるプレゼンテーションの準備に夢中になった。
1年目のクラスでは、全てのクラスに負けて、最も人気のなかった舞台パフォーマンス(ダンス)となった。(結果としてこれはこれでおもしろかった)
2年目、3年目は、全学年からの人気が高く競争率が最も高かったお化け屋敷を連続で勝ち取った。これがまた、準備を含めてクラス一丸となり、一人ひとりの強みや魅力を最大限に活かした企画となり、文化祭大賞的なものも獲得(生徒と来場者、先生たちからの投票制)。日頃クールで辛口な担任の先生とクラスの皆で泣きながら歓喜したことも懐かしい。
クラスメートの一人に、独特なオーラを放ち、日頃ほとんど言葉を発しない無口なお寺の跡継ぎ息子などもいた。でもなぜか、毎年文化祭の時だけは非常に協力的で寺の竹?とかを、軽トラに積んで自宅から学校まで運搬してくれるなど、お化け屋敷の内装作りに尽力してくれた。うちのクラスだけ、笑ってしまうほど何もかもが本格的だった。
この取り組みを通じて、クラスメートの日頃見えない新たな一面なども見え、いつの間にか、お互いがお互いを一段と好きになる、そんなシーズンだった。
また、夏休み、人気ない学校の教室でお化け屋敷作りをしていたら、急に外が真っ暗になり雷が鳴り出し大雨が降ってきて帰れなくなっても、それらは全てワクワクさせてくれた。
この頃の友人たちの一部は、大人になっても変わらず親友であり続け、今も頻繁につながっている。東日本大震災やコロナ禍など、卒業後の一大事は、こうした親友たちとの絆を一層強くしてきた。
今は、SNSやデジタル化の伸展により、簡単につながれる時代だからこそ、自然と出会い、共に過ごした(過ごす)人たちとの縁は、摩訶不思議であり、深い意味のあることだと感じる今日この頃。
大切な人たちの存在や思い出はきっとこれからも生涯、私の心を温かく、優しく、強く、奮い立たせてくれる揺るぎない心の宝だ。
なお、結局、こうした一人ひとりの友情や絆の連帯が、持続可能な世界を作る最大にして最強の土台であり、エネルギーなのだと確信する。(真の友情に基づけば、色々な意味で、人類にとって前向きな選択肢が増えるだろう)
今生きていること、今目の前にいる人たちを、心から大切に!
そして、一緒に全力で楽しもう!と、あらためて思った、夏の終わり、秋の始まり。
(おまけ)
※魅力に溢れたクラスメートについて語り尽くせないので、ご参考までに?
(大好きな大切な一人ひとりを回想しつつ)
土佐兄弟『高校あるある集~放課後何しているかわからない人たち編』
https://youtu.be/NqmahqesLZo