株式会社陽進堂
株式会社陽進堂
https://www.yoshindo.co.jp/
創 業 年 :1929年(昭和4年)
代表取締役社長:北村 博樹
本社所在地:富山県富山市婦中町萩島3697-8
従 業 員 数:677名(2023年10月末)
【企業理念】
私たちは、「創造と信頼」の旗のもと、高品質な医薬品を開発するとともに、安定的に医薬品を供給することを通じて人々の
健康と地域の発展に貢献し、「なくてはならない製薬企業」を目指します。
(株)陽進堂(以下、陽進堂)は富山県に本社機能、研究開発機能、生産機能を有しております。地方に拠点を構える企業にとって日本の中枢である東京へのアクセスは重要です。陽進堂のこれまでとこれからを富山から東京へのアクセスの変遷に沿ってご紹介させて頂きます。
陽進堂は、1929年昭和4年に、一般向けの医薬品を製造販売する個人商店として、創業しました。当時は、富山から東京までは、片道14~15時間掛かっていたと言います。1961年の薬事法(現「薬機法」)施行後、1962年(株)下村陽進堂として、株式会社化されました。当時の医薬品製造業は、厚生労働省(当時は厚生省)からの許認可(承認、許可)を受ける必要があり、厚生労働省と面談が必要な場合、往復14~15時間をかけて、鉄道で上京するか、1963年8月に公共用飛行場としては唯一の河川敷空港となる富山空港開設で利用可能になった航空便を使うかの選択になりました。富山・東京羽田便は、2002年に1日8往復が最多となり、料金の問題や富山空港が雪に弱いなどの課題はあっても、航空機利用も重要な交通手段だったと思われますが、現在は、新幹線との競合、コロナの影響で、1日3往復(2023年10月時点)となっています。
1964年10月東海道新幹線開業により、米原経由で、東京まで最短7時間の所要時間となりました。1967年に本社工場を新設し、その後も、製造設備の更新・増強に努め、1996年、現在も本社を構える富山市婦中町に新本社工場が竣工しました。その間、1975年3月ダイヤ改正で東海道新幹線「ひかり」が米原に停車するようになり、米原経由、東海道新幹線乗換により、東京までは最短5時間30分となりました。
1997年3月、ほくほく線経由で越後湯沢から上越新幹線に連絡するはくたか営業開始により、越後湯沢経由で、東京まで最短3時間10分となりました。かなりの負担ではありましたが、日帰りで東京出張をすることもありました。
2000年代にはいり、2004年別会社で展開していた原薬事業を吸収し、2006年総合研究所、2014年第2研究棟を竣工するなど、研究開発力の強化にも努めてきました。こうして、陽進堂は、増大し続ける医療費の抑制に大きな効果が期待できるジェネリック医薬品の研究開発と製造に全力で取り組み、原薬から製剤までの一貫生産体制を確立し、確かな医薬品を医療現場に提供させて頂く体制を整えてきました。更に2013年エイワイファーマ株式会社を設立し事業領域を拡大、ジェネリック医薬品に加えて輸液・透析製品の販売の開始によりジェネリック医薬品メーカーにエッセンシャルファーマとしての側面が加わりました。加えて、医薬品の未来を見据えバイオ医薬品についても複数の取り組みに着手しております。
図らずも、陽進堂の事業領域の拡大に呼応するように、2015年3月ダイヤ改正(北陸新幹線金沢開業)北陸新幹線経由で東京まで、最短2時間10分となり、遂に、大阪と同等の東京への鉄道アクセスが達成されました。2024年3月16日、北陸新幹線は現在の東京~金沢間から延伸され東京~敦賀間が開業する予定です。将来的には大阪までの延伸を期待する声も聞こえております。
陽進堂は100年近い歴史のなかで、社会と共に成長してきました。ジェネリック医薬品を基礎にしながら、次の時代に誇ることができる新しい技術を目指して、つねに技術革新を続けながら企業として成長し、人々の希望や願いをかなえていくことが私たちの使命と考え、陽進堂は、たゆまぬ「創造」こそが、企業のゆるぎない「信頼」につながると考えています。